今から10年ほど前、梅渡飛鳥(ばいと・あすか)さんは専門学校で漫画を学んでいた。
学校を訪れた少年誌の編集者の目にとまり、担当をしてもらえることに。
作品の設計図にあたる「ネーム」を事前に見てくれて、それを元に描いて漫画賞に応募したら奨励賞をもらった。
夢だった漫画家への道が一気に開けたが、それは苦闘の始まりでもあった。
◇
3年ほどの間で獲得した奨励賞は計4回。
1~2回目は素直に「よし、やった!」と喜んでいたが、3~4回目は違った。
大賞や佳作といった上の賞をなぜとれないのか、と焦り始めた。
学校を卒業してバイトしながら漫画を描き続ける日々。
漫画家になる以外の選択肢は、頭の中に一切なかった。
ある日、担当編集者からの言葉に衝撃を受けた。
「今までのネームだと賞はとれるけどデビューはできないと思います」
自分でも薄々感じていたことだったが、改めて言葉にして聞かされるとショックだった。
そこから約3年、描いたネームはことごとくボツになった。
自分はいつ漫画家になれるのか。
特別な才能を持っているわけでもなく、ずば抜けて画力があるわけでもない。
自分のことをそう思っていた。
それでもあきらめることができない、漫画家という夢。
長いトンネルを抜け出すきっかけになったのは「逃げ」だった。
後押ししてくれたのは、同居している双子の兄の言葉だ。
相談したら「いいじゃん、逃げても。楽しい逃げ道は作っておくもんだよ」と言ってくれた。
沼にはまって気づいたこと
ボツが続いていたころ、テレ…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル